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東日本大震災報告会『被災地からの発信』(1) 3・11 被災地から

3・11 被災地から

 2011年3月11日、皆様はどう過ごされていましたか。
 私は激しい揺れに電柱が建物の軒を叩きながら電線はビュンビュン鳴り、道路には地割れが起きてブロック塀も倒れたところで測量作業中でした。
 震源の東北太平洋岸では大自然の猛威にさらされたところがあったのは新聞テレビの映像でご承知のとおりです。あれから3年目を迎えます。新聞などの報道により、その後の被災地の状況は伝わって参りますが、被災地3調査士会が主催された報告会で被災地の様子を伺って参りました。


会場風景

 報告会には、全国北海道から沖縄までの単位会から主催者発表381名の参加がありました。報告会は被災地会から災害時の対応など体験を通じての報告があり、被災体験者から「まず真っ先に家族の安否確認。電話回線が使えなくとも電子メールならいつかは届くから電子メールを活用したほうが良い。」泥水をかぶり、寒さに震えながら得られた貴重な教訓だと思いました。
 そして「復興、復興と言わないで、自分たちには復旧なんだ」そして「私達は今もこうしている事を忘れないで応援してほしい」翌日、被災地に立って身にしみる言葉になりました。
 被災地は見渡す限り360度、人の生活の匂いは何もありません。被災して鉄骨むき出し建物がポッン、コンクリート建物がポッンと残っているだけでした。見学地の陸前高田市では、街全体を7~8mほど嵩上げする計画のある事情もありましたが、個人や事業所の新築は行われておらず津波の破壊力の恐ろしさを改めて感じました。


早い復旧が望まれる生活の足、鉄道の被災状況

 被災地の移動中のバスの中では被災地会員から体験談があり、震災直後3日間まず必要なものは水と食料、5日くらい経つとタバコ・酒類などの嗜好品、10日すれば風呂に入りたくなる。これも貴重な体験談として伺いました。
 車窓から見える市街地の風景は、津波を受けてコンクリート基礎だけが残る街の跡、川の中に橋脚だけ残った国道・鉄道の橋の跡、鉄道のトンネルから先の無い線路敷きの跡、津波で市街地に流された動かしようのない300トン級の大きな船など津波の強烈さをまざまざと見せつけられました。


津波に押し流されて市街地を塞ぐ船、保全が検討されている。

 また大地震は津波被害のあと、小さな避難所や内陸部の被害者に復旧支援の行われ方に差が起きたことも知りました。福島第一原発の事故も起きましたがここでは触れません。現状を見て、皆さんが考えて下さい。
 被災地を訪れ感じたことは、人が住む街の復旧に一刻も猶予は無い。復旧・復興作業が進まないのはなぜだろう。様々な規制・権利が絡むのでしょうが、激甚災害の場合は特別法により、全体の公共の福祉を最優先して規制や個人の権利は制限してもよいのではないでしょうか。


被災した市街地の今の様子

 復旧のためには平常時の規制を受けず、復旧工事に集中できるよう国民全体が考えるべきではないでしょうか。私たちも震災復興税を、本年1月から領収書様式も変えて源泉徴収税の際に加算されて納税します。
 「国は直ぐに動かない」首都圏直下地震がいつ起きてもおかしくない、皆様に被災地の現状は、明日は我が身と思い知るべきでしょう。

 震災に遭われた方々の悲しみは、何年たとうとも消えることはありません。東日本大震災は、昔の教訓が生かされていない、国や県、市町村の規制値が甘くて人災ではと聞きましたが、様々な体験を教訓として経験が生かされることを願うばかりであります。私は海沿いの知らない街では標高に気を配り、地震に遭遇したら一番に高いところに避難することだと思いました。
 被災地調査士会員の皆様、命をかけた貴重な体験談をありがとうございました、最後に東日本大震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、被災地の早期復興を願います。

広報部長 有野 拓美

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