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東日本大震災報告会『被災地からの発信』(7) 「東日本大震災報告会」及び「被災地バスツアー」に参加して

「東日本大震災報告会」及び「被災地バスツアー」に参加して

 東日本大震において特に太平洋側東北地方は、地震とそれに伴って発生した津波及びその後の大きな余震により過去にないほどの被害を受けた。2012年3月11日調べによると全国で死亡者15054名、行方不明者3155名、合計19009名、又、避難生活で体調を崩したなどの理由で亡くなられた「震災関連死」と認定された方も多数いた。そして福島第一原発事故による放射性物質拡散による被害と、今でも多くの問題が残されている。
 その大震災より1年9ヶ月、私は当時の大地震・大津波の恐ろしさを実際に体験した人の話を聞き、今なお残る傷跡をこの目で見て肌で感じ、それを伝える事が一番大切なことだと思いこの企画に参加した。

 12月15日、東日本大震災報告会が宮城県仙台市仙台国際センターにおいて、北海道から沖縄まで381名以上の会員が出席しました。バス旅行を兼ねて報告会に参加した会もあり関心の深さが窺われました。ちなみに、神奈川会会員出席者数は個人参加者を含めて13名でした。宮城・岩手・福島3県の調査士会員の講演は、3県会員の被災状況・講師自身の被災体験・救援物資輸送の際の苦労された実体験談を伺った。

 翌16日、被災地バスツアーでは、バスガイドさんや宮城会の地元会員から当時の模様、ご苦労、海岸線及び河川付近は津波による被害が多く、内陸部は地震による被害が多かったこと、川を5㎞以上さかのぼる津波の恐怖など体験された話を伺った。特に印象に残ったのは、地元の自衛隊員は自分の家族安否を確認する間もないまま、被災者を救助し続けていた話である。愛する家族の元へ直ぐにでも駆けつけたかったのではないかと思うと頭が下がる思いがした。


津波により寸断された気仙沼線陸橋

 バスの中から見た景色は悲惨な状況が続き、特にJR気仙沼線の津波によって破壊寸断された橋脚が目に残る。一日数万人の利用者があった気仙沼線は、宮城県石巻市の前谷地駅から気仙沼市気仙沼駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線であり、三陸縦貫線を構成する路線の一つである。地震・津波により沿岸部を走行する柳津駅・気仙沼駅間が不通になっており、市民の足である鉄道の早期の復旧を求めているが、JR東日本によれば鉄道の完全復旧は中々困難なようだ。それでも市民の足を確保する為、2012年8月よりBRT(バス高速輸送システム)が気仙沼線の線路を取り外し、アスファルト舗装を施して、気仙沼線同様単線により、バスのすれ違いの為対向車の一方が待機所で待つシステムで運行を始めている。この運行により市民の買い物、老人の通院、高校生の通学に利用され生活の第一歩を踏み出しているようである。


鉄道に代わって運行されているBRT(バス高速輸送システム)

 最後に訪れた岩手県陸前高田市は、宮城県石巻市に次ぐ多くの方が犠牲になった。津波による被害が甚大で死亡者1555名行方不明者240名、そして家屋は津波により倒壊・流失し、町全体ほぼ壊滅状態である。震災前の風光明媚な海岸線や街並みの写真を示して震災当時の模様を“語り部”新沼さんから伺い、市内中心部を案内していただいた。現在は、駅のあったであろう場所、商店街があったであろう街並みは、きれいに瓦礫は片付けられ雑草が生えている。瓦礫は何か所かにまとめて山と積まれ、いくつかの廃墟と化した鉄筋コンクリートの建物が津波の爪痕を残している。


津波により廃墟と化した旧陸前高田市庁舎

 その中でひと際大きな建物が、海岸線から約1.5㎞の場所にある旧陸前高田市庁舎である。庁舎の前には慰霊の為の祭壇が飾られ、ただただ手を合わせるのみである。ふと横を見ると、以前からそこにあったものか、だれかがその場所に置いたのか、陸前高田市民憲章の碑が目を引いた。

陸前高田市民憲章
1、自然をたいせつにし美しいまちをつくります。
1、家族の和と健康に心がけ明るいまちをつくります。
1、働くことに意欲をもち活気にみちたまちをつくります。
1、思いやりの心をもちうるおいのあるまちをつくります。
1、教養を深め文化の高いまちをつくります。


旧陸前高田市庁舎横に置かれた陸前高田市民憲章碑

 この憲章が被災者すべての人の願いであり目標だと思いました。
 リアス式海岸のこの地は、幾度となく大津波が押し寄せている。今回の地震で70㎝以上地盤沈下したこの町を、どれほどの高さまで嵩上げするのか、今度こそ自然と共存、いや自然に打ち勝つ町作りしてほしいと願わずにはいられなかった。

 今なおプレハブの仮設住宅で寒い生活を強いられている人たち、自分の生まれ育った思い出多い町を遠く離れて生活していられる人たちが、何時かはこの地に戻って生活のできるまで、まだまだ復興には時間と費用がかかる。だんだんと風化してしまいそうな復興支援の火を灯し続けなければと思う。

 先日、私の住む横浜でも、30年以内に震度6弱以上の地震の起きる確率が71%以上と発表があった。常にひとりひとりが何時かは起きる地震に対し準備し、家族で話したっておくことが大切だと思う。
 神奈川会の広報部と制度対策特別委員会では、日調連から要請により県内の海岸地区市町の海抜表示板実態調査を行った。多くの市町で海抜を明示した表示板が設置されている。海岸地区の市町にお住まいの方は、電柱や電灯などを意識して探し確認しておいてはいかがか。

 最後に、このような報告会並びに被災地ツアーの企画し、機会を作っていただいた、宮城・岩手・福島3県の調査士会並びに会員の皆様に感謝申し上げる。

                            
広報部 野口幸秀

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